元システムエンジニアで、現在患者の「いなほ」です。
マイ、パソコン史の最後(たぶん)は、2000年頃から今までの歴史です。
2000年当時、携帯電話はありましたが、当然ガラケーでカラー液晶のケータイがやっと登場したばかりでした。
また、カメラ付きの携帯が登場し、今でも使われる(?)「写メ」という言葉が出来たのもこの頃でした。
自作パソコンにハマる
自作パソコンの高性能化
この当時、毎年のようにCPU(パソコンの頭脳と呼ばれるもの)の性能が向上し、それに伴ってハードディスク(情報を記録する部分)の容量も上がっていきました。
値段はどんどん下がっていきました。
僕も毎年のように新しい部品を秋葉原で買っては、組み立てていました。
新しい部品を買ったのも秋葉原ですが、要らなくなった部品も中古で売ることが出来ました。
それが凄いメリットでした。
自作PCで最大のピンチ
自作パソコンにもデメリットはあります。
トラブル時は全て自己責任で解決しなくてはいけません。
全部の部品を同じショップで買った場合は別ですが、部品毎に安いお店で買っていたので、そういうわけにもいきませんでした。
一度、部品を半分買い換えたときに、突然Windowsが頻繁に再起動するトラブルが発生しました。
マザーボード(基板)、ハードディスク、メモリ等、どの部品も故障で再起動するトラブルは考えられたのですが、結局シロでした。
あちこちの掲示板やお店の店員さんのアドバイスを受けていろいろやってみたのですが、改善しませんでした。
最後になってCPUだけ交換していないな?と思い、新製品だけど低性能なCPUを購入して交換したところ、改善したのです。
結局、問題のCPUは製造元(インテル)でも不良品と判断され、交換してもらいました。
当時、CPUの不良は聞くことがなく、まさかまさかの顛末でした。
高速回線を求めて
Windows95になってインターネットが使いやすくなったのですが、当時は光回線などありませんでした。
電話回線を通してアクセスポイントに接続し、低速なネットサーフィンで我慢する日々が続きました。
その頃、高速な専用回線を引いて、お茶を飲みながらネットサーフィンが出来る「インターネットカフェ」というのが登場しました。
現在のような「ネットカフェ」とは別物で、マンガ等はありませんでした。
それでも、速くネットサーフィンが出来るという事で、何気に通い続けました。
フレッツシリーズと定額制
フレッツISDNの登場
2000年代に入って、NTTより「フレッツISDN」(以下INS)という新サービス(回線)が出ました。
INSは64Kbpsと、今では考えられないくらい低速でした。
しかし、定額制なので、いくらインターネットを使っても、毎月料金が固定なのは嬉しかったです。
64Kbpsがどんなものかは、下記を参考にして下さい。
フレッツADSLの登場
その後、同じくNTTより「フレッツADSL」(以下ADSL)というサービスが登場しました。
INSと違って、既存の電話線が使えると言うことが特徴で高速でした。
速度は最大で1.5Mbpsと高速でした。
ただ、基地局から離れるほど速度が遅くなると言う特徴がありました。
当時の自宅は基地局から少し離れていましたが、それでも速いと感じました。
1.5Mbpsがどんなものかはこちらを参考にしてください。
光回線の登場
2010年にやっと自宅にも光回線を導入することが出来ました。
ADSLも速かったのですが、光はもっと速くビックリしました。
200MB程度の動画も秒単位でダウンロードが行われ、動画配信サービスもストレスなく見られるようになりました。
その他試したこと
ケーブルテレビ(CATV)や建物の住戸内LANサービスなど、いろんな接続サービスがあったので試しました。